10月8日夜、大相撲の第54代横綱・輪島が亡くなりました。享年70。大好きな横綱でした。輪島の現役時代を知る者として、しみじみと当時のことが思い出されます。
ワタシが相撲を見始めたのは小学校の高学年から。当時の横綱は輪島と北の湖の2人で、いかにも“お相撲さん”の体型の北の湖が圧倒的な勝率を誇っていました。あまりにも強く、子ども心にも憎らしくてたまりません。今にして思えば北の湖に対して理不尽ですが、いつのまにかワタシは、輪島を応援するようになっていました。北の湖をやっつけられるのは輪島しかいない! そんな気持ちですね。トレードマークの黄金色のまわしと、“黄金の左”という異名もカッコよかったです。学生相撲出身横綱、しこ名も本名、という“史上初”がいろいろつくところもいいな、と思いました。
1976(昭和51)~1977(昭和52)年の2年間全12場所、輪島と北の湖は千秋楽結びで対戦します。ワタシは毎回、ハラハラドキドキしながら見ていました。輪島が勝ったときの映像は記憶の中に鮮烈に残っている一方、北の湖が勝ったシーンはほとんど覚えていません。これは、輪島が勝った回数が少ないからだと思っていたのですが、調べてみて驚きました。この12場所中、優勝は輪島、北の湖とも5回ずつ。4度あった相星決戦も、2勝2敗の五分でした。そして、通算の対戦成績でも、輪島が23勝21敗と勝ち越していたのです。ワタシの記憶も当てにならないですね。
輪島の優勝回数は歴代7位の14。北の湖と同時代に横綱をはった力士として、誇れる数字です。現役引退後は金銭トラブルから相撲協会を退職し、その後プロレスラーに転身。レスラー引退後はタレント活動のほか、アメリカンフットボールの監督に就任するなど、激動の人生を送りました。合掌。