散髪は年1回。

雑記です。

6億5000万円。

 この金額は、巨人のエース、というより日本球界のエース、菅野智之の来季年俸です。今季の年俸が4億5000万円でしたから、実に2億円アップ。昨季~今季も2億2000万円のアップでした。2億円以上のアップが2回は史上初めてだそうです。

 菅野が現役最強投手であることに疑いの余地はありません。でも、単純に成績だけ見ると、一度も20勝を挙げたことない投手がなあ、という気になってしまうのも事実です。1970~80年代中盤までは、20勝投手がそれなりにいましたからね。まあ今は時代が違いますから、その辺のことは置いときましょう。

 改めて、6億5000万円。いやあ~すごい数字ですね。ため息が出てしまいます。一般人には想像を絶する額です。それでも、6億5000万円は、史上1位ではなく、史上1位タイ。2004、2005年の佐々木主浩(横浜)に並ぶものでした。ということは、13年間、年俸の記録更新はなかったことになります。少し意外でした。まあ、有力選手はメジャーにいってしまいますからね。

 それにしても、ワタシが中学生だった1970年代後半、プロ野球選手の年俸は、1000万円がひとつの基準だったと思います。1000万円を超えれば一流選手、というわけです。それがいまやその10倍、年俸1億円プレイヤーは80人を超えています。40年で物価が10倍になったかというと微妙ですが、隔世の感があります。まあ、メジャーリーグには年俸10億、20億円の選手がゴロゴロいるんですけど。

 とはいえ、アップする選手は全体から見るとほんのひと握り。大幅にダウンする選手もいれば、解雇される選手もいます。そうした選手たちのほうが多いと言っていいかもしれません。今回、ひとまず彼らのことにはふれずにいきます。

 各年度の最高年俸選手を調べようと検索をかけてみましたが、1976年より以前のものは見つかりませんでした。とりあえず、1977年から佐々木主浩が6億5000万円を記録した2005年までをコピペします。

年度   金額     選手
1977年 6480万円   王 貞治   
1978年 7680万円   王 貞治
1979年 8160万円   王 貞治
1980年 8170万円   王 貞治
1981年 5200万円   山本浩二
1982年 6500万円   山本浩二
1983年 7800万円   江夏 豊
1984年 7800万円   江夏 豊
1985年 8500万円   山本浩二
1986年 9700万円   落合博満
1987年 1億3000万円 落合博満
1988年 1億3000万円 落合博満
1989年 1億3000万円 落合博満
1990年 1億6500万円 落合博満
1991年 2億2000万円 落合博満
1992年 3億円     落合博満
1993年 2億5000万円 落合博満
1994年 3億8000万円 落合博満
1995年 3億8000万円 落合博満
1996年 3億8000万円 落合博満
1997年 3億6000万円 落合博満
1997年 3億6000万円 清原和博
1998年 4億3000万円 イチロー
1999年 5億円     イチロー佐々木主浩
2000年 5億3000万円 イチロー
2001年 5億円     松井秀喜
2002年 6億1000万円 松井秀喜
2003年 5億円     中村紀洋
2004年 6億5000万円 佐々木主浩
2005年 6億5000万円 佐々木主浩
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2019年 6億5000万円(菅野智之

 あの王さんも、最高年俸は8000万円代でした。日本選手初の年俸1億円は、3回目の三冠王に輝いてロッテから中日に移籍した1987年の落合博満。落合はここから10年以上、日本プロ野球No.1年俸の座を譲らなかったのだからさすがです。そして思うのが、イチロー松井秀喜がメジャーにいかず、日本にとどまっていたら、いくらまで上がったのか、ということ。メジャーを超える年俸になっていたかも、などと考えると楽しいですね💰

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会見時の菅野を描いたつもりが、石原裕次郎っぽくなってしまいました。2人が似ているとは思えないので、ワタシの力量不足ですね。でも、このままいかせていただきます。ワタシは菅野の投げる試合を何度か見たことがあります。その中で一番印象に残っているのが、今から2年前の2016年5月5日、東京ドームでの広島戦です。この試合、菅野は天谷宗一郎に2点本塁打を浴びたものの、4−2で完投勝ち。被安打は5で無四球、10奪三振で、試合時間は2時間3分だったと記憶しています。ワタシが過去に見たプロ野球の試合の中で、最短時間でした。