散髪は年1回。

雑記です。

ジャッキー・ロビンソン生誕100年。

 1月が終わりました。月日が経つのは早いですね。年を追うごとに早く感じます。2019年もあっという間に過ぎていきそうでイヤになります。

 さて。今日1月31日は、メジャーリーグの歴史に欠かせない人物の誕生日です。その人物は、ジャッキー・ロビンソン。ご存知、20世紀最初の黒人メジャーリーガーです。1919年生まれなので、今年で生誕100年となります。それを記念し、メジャーリーグ機構は、シーズンを通してさまざまな催事を行うことを発表しています。駆け足でジャッキーの歩みを振り返ってみます。

 ジャッキーがブルックリン(現ロサンゼルス)・ドジャースでメジャーデビューを果たすのは、1947年のこと。背番号は「42」でした。当時のメジャーリーグは白人だけで構成されてたため、黒人のジャッキーは対戦チームはもちろん、味方のチームメイトやファン、審判、マスコミからも激しい差別を受け(ジャッキーとプレイするのを嫌がって移籍した選手もいたようです)、孤独な戦いを強いられます。

 しかし、ジャッキーは何事にも屈せず、やり返さず、黙々と自分のプレイを続けます。やがてこの姿勢が周囲の信頼を勝ち取り、ジャッキーを支持する声はどんどん大きくなっていきます。最終的にこの年、ジャッキーは151試合に出場して打率2割9分7厘(590打数175安打)、12本塁打、48打点、29盗塁(リーグ最多)と見事な成績を残し、チームのリーグ優勝にも大きく貢献。同年より制定された新人王を獲得します。その後もジャッキーは安定した活躍を見せますが、1956年のシーズン終了後にジャイアンツへの移籍話が持ち上がると、ドジャースにいられないならば、と引退を表明。10年間の現役生活にピリオドを打ちます。

 有色人種のメジャーリーグ参加の道を切り開いたジャッキーの功績は計り知れません。野球界だけにとどまらず、差別され続けた黒人の地位向上など、アメリカ社会にも大きな影響を及ぼしました。ジャッキーがつけた背番号「42」は、メジャーリーグ全30チームはもとより、現在アメリカ・カナダのすべての野球チーム(マイナーリーグ独立リーグ、アマチュア野球)で共通の永久欠番になっています。

 そして思いがけず、今日1月31日はジャッキー以外にも偉大な選手の誕生日であることがわかりました。アーニー・バンクスノーラン・ライアン。ともにアメリカ野球殿堂入りを果たしている、メジャー史に欠かせない選手の一人です。

 まず、1931年生まれのバンクスは、“Mr.Cub(ミスター・カブ)”と呼ばれ、抜群の人気を誇ったカブスの看板選手。通算512本塁打を放ったスラッガーでした。カブス一筋に19年間の現役生活を送りましたが、ワールドシリーズには一度も出場できなかった悲劇のプレイヤーでもあります。背番号「14」はカブス永久欠番です。

 一方、1947年生まれのライアンは、「Ryan Express(ライアン超特急)」の異名をとった剛腕投手。説明は不要でしょう。シーズン最多奪三振(383/1973年)、通算最多奪三振(5714)、ノーヒットノーランは7回など、数多くのメジャー記録を保持しています。ライアンはメッツ→エンゼルスアストロズ→レンジャーズと4球団を渡り歩きましたが、背番号はそのうち3球団で永久欠番になっています(エンゼルスの「30」、アストロズとレンジャーズの「34」)。

 こうしてみると、1月31日はメジャーリーグを語るうえで極めて重要な日と言えますね。もしかしたら、ほかにもこんな日があるかもしれませんが。

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ジャッキーに関する書物や映画は数多くあります。そうのうちのひとつ、写真右の『ジャッキー・ロビンソン自伝』はベースボール・マガジン社から1974年に発行されました。冒頭の「推薦のことば」は水原茂が書いています。何年か前に古本屋で安く手に入れ、勇んで読み始めたものの、まだ読破には至っていません。ロビンソンを描いた伝記映画「42~世界を変えた男~」は2013年の制作。ワタシも見に行きました。アメリカとカナダでは公開から3日で2730万ドルを売り上げるなど、野球映画至上最高のオープニング記録を打ち立てたようですが、日本ではあまりヒットしなかった感じです(ワタシは楽しめました)。