散髪は年1回。

雑記です。

天覧試合から66年。

 ワタシがまだこの世に生を受けていない、今から66年前の1959(昭和34)年6月25日、木曜日。後楽園球場で読売ジャイアンツ(巨人)×大阪タイガース阪神)がプロ野球初の天覧試合として開催されました。

 巨人は藤田元司阪神小山正明の両エース右腕が先発。さまざまな伝説に彩られたこの試合はよく知られておるとおり、二転三転する大熱戦となります。

 3回表、阪神が小山自らのタイムリーで先制。当時は打撃センスにもすぐれた投手が多かったと聞きます。その後、5回裏に巨人が長嶋茂雄と坂崎一彦の連続本塁打で逆転すると、6回表、阪神は三宅秀史のタイムリーと藤本勝巳の本塁打で4-2と再逆転。

 2点をリードされた巨人は7回裏、ルーキー・王貞治の2ランで同点に追いつきます。これがのちに106回を数えることになる〝ONアベック本塁打〟の第1号となりました。

 阪神はここで2番手にルーキー・村山実をマウンドへ。村山は8番・森昌彦(現・祇晶)に安打を打たれるも後続を断ちます。

 直後の8回表、阪神は2四球と犠打で1死二・三塁とし、勝ち越しの大チャンス。しかし、二塁走者の藤本が藤田の牽制球に刺されて憤死すると、続く6番・横山光次も遊直に倒れ、得点を挙げることができませんでした。

 8回裏の巨人と9回表の阪神はともに三者凡退。4-4の同点で9回裏に入ったとき、時刻は午後9時を回っていました。天皇・皇后が野球観戦できるのは午後9時15分まで。延長戦に突入した場合は途中退席になる可能性がありました。

 関係者は気をもんだでしょうね。しかし9回裏、先頭で打席に立った巨人・長嶋は、カウント2-2から村山が投じた速球をレフトポールギリギリに劇的なサヨナラ本塁打を放ち、激闘に終止符を打ちました。時刻は午後9時12分。天皇・皇后は試合結果を見届けたうえで、席を立たれたといいます。

 ……今回、さまざまな文献、資料から試合を振り返ってみました。改めて、これ以上ないできすぎのゲーム展開でしたね。

 日本プロ野球の人気を決定づけたとされるこの天覧試合のヒーローとなった長嶋さんは今年6月に亡くなり、阪神の先発投手・小山さんも今年4月に旅立ちました。さらに、阪神の1番・ショートでフル出場した吉田義男さんも今年2月にこの世を去っており、球史に残る試合に出場していた方がどんどんいなくなっていくのは淋しいかぎりです。

 もし今、天覧試合を催すとなったら、カードはどこになるんでしょう。大谷翔平がまだ日本にいたら、日本ハムがその候補に挙がっていたかも。そんなことを思っているうちに夜は更けていきました。時刻は深夜1時を回ったところ。ワタシにしては早い時間なので、このあとなにか長嶋さんの映像を見て、寝るとします。

日刊スポーツでは、長嶋さんが亡くなった3日後の6月6日付け裏1面で天覧試合の記事を再録していました。スコアテーブルがついているのが何よりうれしい。ワタシはもちろん、永久保存版にしてとっておきます。