12月も半分が経過。2020年もあと2週間と少しで終わりを告げます。あっという間ですね。なにか〝いいこと〟が起こることを期待している自分がいます。
珍しく、今週はここまで、ストレスがたまることなくきています。木曜日は少し忙しくなる気配が漂っていますが、まあなるようになれ、の心境ですね。先週がヒドかったので、それと比べるとだいぶ余裕があります。
さて。少し古くなってしまいますが、12月13日の日曜日、柔道の東京オリンピック男子66㌔級日本代表選手決定戦が行われ、阿部一二三が丸山城志郎を下し、代表の座をつかみました。ワタシはビデオで観戦。試合が24分の死闘となり、テレビ中継が途中で終了してしまったため、決着の瞬間を見届けることができませんでした。とりあえずその件は置いといて、この試合について書かれた15日の日刊スポーツの記事がワタシ好みの内容だったので、今回、取り上げたいと思います。
柔道関係者の間では、決戦の行われる12月13日に阿部の名前の「一二三」が入っているなど、数字をめぐる奇妙なうわさが飛び交っていたというのです。試合から一夜明けた14日、オンライン会見で阿部本人も「運命を感じた」と告白しました。
66㌔級代表の最終選考会の場は当初、4月の全日本選抜柔道体重別選手権(福岡)でした。しかし、新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期され、代替の12月のグランドスラム東京大会も中止となり、12月13日に決まりました。この時点で、試合日に一二三の名前と阿部の年齢である23の数字まで入っていることに、たまたまだろうが不思議、と語る関係者がいたようです。
試合時間は前述の通り24分。阿部の所属である「パーク24」にまつわります。いろいろなことが重なり、最後は阿部に縁がある数字ばかりが並びました。阿部が勝ってしかるべき日だった、といったところでしょうか。
そして、当初最終選考会が開催される予定だった4月5日は、丸山の父・顕志さんが講道館杯を制し、1992年バルセロナオリンピック代表を決めた日で、さらに丸山の兄で81㌔級の剛毅の誕生日でした。つまり、4月5日行われていたら、丸山家にとっての運命の日で、丸山が勝っていたのでは、というわけです。
こじつけの部分はあるにせよ、読んでいてうなりました。ワタシはこうしたネタが大好きです。また別の競技で読んでみたいですね。