散髪は年1回。

雑記です。

〝10.8決戦〟から28年。

 3連休初日。前日までの寒さは一段落し、今日(10/8)は過ごしやすい1日となりました。ワタシも午前中からバタバタして動き回り、疲れていたようです。またしても日付が変わる前あたりからうとうとしてしまい、ハッとしたらもう早朝の5時半を回っていました。毎度毎度のことながらガックリきます。

 当初は今回、プロ野球ファンにとって伝説の〝10.8決戦〟について書こうと思っていました。が、もう時刻は朝の6時過ぎ。サクッといきます。

 今から28年前の1994年。プロ野球セ・リーグペナントレースは序盤から巨人が首位を独走し、8月18日には優勝マジックナンバー25を点灯させました。しかし、その後巨人は失速。中日が追い上げを見せ、両者は69勝60敗で並んで残り1試合、直接対決で雌雄を決することになります。その日が10月8日、舞台はナゴヤ球場でした。

 この日がプロ野球史上初の「最終戦同率首位優勝決定戦」となったのにはいくつか伏線がありますが、詳細は省きます。当日は土曜日で、ワタシは出勤していたので、職場でテレビ観戦。画面上からも、異様な盛り上がりは伝わってきました。

 結果は6-3で巨人の勝利。しびれるゲーム展開でコーフンしました。ワタシは巨人・長嶋茂雄監督の胴上げを見届け、職場をあとにします。まっすぐ帰るのがもったいなく、ひとりで行きつけの店へ。結果を知らないご主人夫婦やほかのお客さんに教えて、大いに語った記憶があります。

 長嶋監督が直接対決を前に「国民的行事」と言ったこのゲームは、関東地区での視聴率が48.8%とプロ野球史上最高を記録(ビデオリサーチ調べ)。今となっては考えられない数字です。あれから28年。当時の熱狂が戻ることが今後、あるんでしょうか。野球界の将来を考えると、少し不安になります。

「日本プロ野球記録」というサイトからお借りしました。1994年は〝10.8決戦〟とともに、イチローが210安打を記録した年。いろんなことがよみがえってきます。さらに、1994年は大谷翔平が生まれた年でもあります。日本プロ野球史に燦然と輝く年といえますね。