散髪は年1回。

雑記です。

大投手トム・シーバー死去。

 まずは気温のネタから。9月に入ったというのに、新潟県で最高気温40度を記録したようです。

〈東北地方から山陰地方にかけての日本海側では3日、晴れて気温が35度以上の猛暑日になる所が続出した。気象庁によると、新潟県三条市で40.4度を観測。埼玉県熊谷市で2000年9月2日に観測した9月の国内統計史上最高記録39.7度を更新した。新潟県内では胎内市も40.0度となった〉時事ドットコム

 なんとまあ。少し前にも書いたように、最高気温40度が当たり前にはなってほしくないですね。もしかしたらそうなる可能性のほうが高くなっているのかもしれませんが。

 さて。メッツやレッズなどメジャー20年で通算311勝を挙げ、1992年に当時史上最高の得票率(98.84%)で殿堂入りした大投手、トム・シーバーが8月31日に75歳で亡くなっていたことがわかりました。死因は認知症新型コロナウイルス感染に伴う合併症だったようです。

 シーバーは、ワタシが大リーグ(当時はメジャーリーグとはいっていませんでしたね)に興味を持ち始めた1970年代中盤、メジャーを代表する投手でした。タイトルは最多勝最優秀防御率が各3回、最多奪三振が5回。投手のMVP、サイ・ヤング賞は3回受賞しています。9年連続200奪三振(1968~1976年)、10者連続奪三振(1970年4月22日)、開幕投手16度はメジャー記録です。

 1978(昭和53)年の日米野球では、〝ビッグレッドマシン〟と呼ばれていたシンシナティ・レッズの一員として、2度目の来日(最初は1974年、ニューヨーク・メッツ在籍時)。当時中学生のワタシは、手に入れたスポーツ紙や週刊ベースボールの増刊号などを喰い入るように読んでいました。シーバーの年度別成績を見るのが楽しみでした。トム・シーバーという名前を強烈にインプット(当時は誰もそんな言葉を使っていませんでしたが)したのを覚えています。

 ネットの動画で、久しぶりにシーバーのピッチングを見ました。あらためて、重心の低い、キレイなフォームですね。遠い目になってしまいますが、シーバーが活躍していた1970~80年代のメジャーリーグを現地で観戦したかったです。合掌。

f:id:baribon25:20200904024517j:plain

シーバーが現役時代に所属したのは、ニューヨーク・メッツシンシナティ・レッズシカゴ・ホワイトソックスボストン・レッドソックスの4チーム。そこでシーバー在籍時の4チームのロゴを並べてみました。背番号は4チームすべてで41番。メッツでは1988年に永久欠番になっています。