散髪は年1回。

雑記です。

またしても「~という」多用の新聞記事。

 5月がスタートしました。エンゼルス大谷翔平の4試合ぶり7号本塁打、卓球・石川佳純フィギュアスケートアイスダンス村元哉中&髙橋大輔組の現役引退表明、大相撲五月場所の番付発表等々、気になったニュースはいくつかあったのですが、今回はまた新聞記事の文章について書きます。

 以前に取り上げたことがあるように(こちら)、ワタシはこのところ、記事の中で「~という」が乱発されていることが気になってしかたありません。前回書いたとき、今後はできるだけスルーするようにしたい、とし、なるべく意識しないことを心がけていたのですが、今朝(5/1)の朝日新聞国際面の記事はちと多すぎました。

 ロシアの侵攻が続くウクライナの東部ドネツク州バフムートの戦闘について書かれたその記事は、現地で記者の方が命がけで取材し、時間制限のある中まとめたもので、その仕事には敬意を表します。資料的価値も高くなるものと思われます。そんな記事にイチャモンをつけるようで、少し気が引けるのですが、やはり、読んでいて「~という」の多用はスルーできませんでした。

 段落の最後を「~という」で締めたのが5つ(「~と言う」ひとつを含む)。連続して使われることも多く、最後の4文はすべて「~という」で終わっていました。これだけ多いと、ワタシはドッときてしまいます。なぜこんなに繰り返して平気なんでしょうか。

 ……ただまあ、こんなことを言うのはワタシだけかもしれませんね。実際、読んでいる最中に引っかかってしまう自分がイヤになります。次こそスルーできるように。と言いつつ、あまり自信はありませんが。

5月1日付、朝日新聞朝刊第4面からです。「~という」の多用は朝日新聞だけなのか、他紙もそうなのか。どうでもいいことながら気になっています。