まずはプロバスケットNBAからいきます。ロサンゼルス・レイカーズの〝キング〟、レブロン・ジェームズがNBA歴代最多得点記録(カリーム・アブドゥル・ジャバーの3万8387点)を更新しました。
ジェームズは現地時間2月7日(日本時間8日)、クリプトドットコム・アリーナで行われたオクラホマシティ・サンダー戦に出場。第3クォーター残り10秒で決めた得点が3万8388点目となり、新記録樹立です。
最近はハイスコアのゲームが増えていることで、昔と比較するのは難しい、などとと言う人もいるようですが、ワタシは素直に祝福したいと思います。ジェームズはこの試合で38得点を挙げ、通算得点は3万8390点まで伸ばしました。今後もどんどん上積みしていくのは間違いないでしょう。
さて。今回は新聞記事の文章がメインテーマです。別に大層な事ではなく、そんなにめくじら立てなくても……と思われるかもしれません。内容はあくまでワタシの個人的意見、というか感想なのでご容赦を。
最近、ワタシは新聞(朝日新聞です)の記事を読んでいて気になることがあります。それは「~という。」の乱発。ひとつの記事に中に、かなりの頻度で出てくるんですよね。今日(2/8)の朝刊でも目立ったので、抜き出します。
新聞には締め切りがあり、取材した時間によってはギリギリで原稿を書くことを強いられます。しかもネットと違って紙面の文字数には制限があるので、そのせめぎ合いにもなります。取材先から得た情報を記事にする際、「~という。」は便利な言葉ですから、ワタシも使うな、とは言いません。ただ、ほとんどの段落の締めに「~という。」を持ってくるのは、プロの記者としてどうかと思ってしまうわけです。
もちろん、中には「~という。」がひとつも出てこない記事もあります。やたら「~という。」が出てくる記事を読んだあとにそうした記事を読むと、ホッとします。
結局、記事の中に「~という。」が頻発するのは、記者の資質、そして記事をチェックして掲載にO.K.を出すデスクの裁量によるもの。とりあえず、そう結論づけることにしましょう。
……う~む。ここまで書いてきて、自分は偏屈オヤジだな、という気がしてきました。こんなことぐらい流せよ、って感じですよね。今後はできるだけスルーするようにしたいと思います。